事細かに綴る

私ってこんなことやっています。こんなこと考えています。をまとめたブログ

【ご報告】 取材していただいた記事を朝日新聞に載せていただきました。

 先日、朝日新聞に取材記事を載せていただきました。
幼少期からこれまでの経験などを川見記者からの取材を通して、改めて自分の中でも振り返りなぜ今こういった選択をしているのか考える機会となりました。

 

卒業も間近ということもあり、この機会に改めてこの学生生活を振り返ってみようと思います。

 

 大学1,2年生では教育系の団体 、NPO法人ROJEで活動をさせていただいていました。

記事の文章中ではNPOでの経験を批判的に語っているように見えますが、そんなことは全くなくて

当時は団体としての全体像や、自分自身の視座が低い中で

ただ上から降ってくるタスクを自分なりに考えもせずにこなしていく中での疲弊や

何のためなんだろう?これをやる意味は?と
異議を自分の中で唱えるだけで、より良い策を考え行動に移してみたり、団体や社会の全体像を把握しようという努力をしてこなかったための組織に対する違和感でした。
(実際タスクに追われると、一度立ち止まって根本的な問題や自分自身と向き合う時間がとれなかった。というのも問題です・・・!)

 

 ちょうど18~20歳頃の時期は自分って何がやりたいのか、そんな軸がないまま
それでも「知らない世界を知りたい!」「自分を成長させたい」という活力がとてもあって、いろいろな団体や活動に参加をしていた時でした。

 この環境にいれば何か変われる、タスクをこなす中で力がつく!と思っていて始めたことも、活動を積んでいく中で、少しずつ自分なりの価値観や軸が見え始めて

 学年が上がり団体の役職などで責任が付き始める頃になって、あれ?私このままでいいんだっけ。と一度、立ち止まってしまいました。

 私はその状態の時に団体や他にやっていた活動、部活などを無責任に次々と辞めてしまいました。

 

 そして大学3,4年生になり起業や新規事業の立ち上げを考えるようになるのですが、この時になってやっと

仕組みを作り出す側の立場と、言われたことをやる立場とでは全く見えているものや考えている幅が違うことを痛感し、1,2年生の自分は文句を言わせてもらえていた事だけでも、有難かったんだなぁ。と思いました。

 

 しかし、この1,2年生での経験や感じた思いは、これから仕組みを考えていく立場の中でも視点として自分の中に持ち続けたいと思えている貴重な経験でした。1,2年生で感じた組織への違和感(これは裏返すと感情による自分への問いかけ)を押し殺したまま
組織に居続けていたら、また違うところに今の自分はいて、この視点や起業をするという選択肢はなかったはずです。

 

 現場と、仕組みの二つが双方向でしっかりと合致した時に最大の力が組織として出せると思うので、そのためにはどうしたらいいのか今後は実践をしながら考えていきたいと思います。

 

 今振り返ると、大学1,2年生でのROJEでの経験は私にとっては何もかもが刺激的で、他大学の学生や社会人の方もいる中で仕事の仕方が何も分からない状態から(議事録の取り方がわからない。メールの返信の仕方、BCcCcを間違えるミス。。先輩は後輩が落ち込んでいたら食事に誘ってあげて労うのか!・・・などなど)色々な事を私に教えていただいた場所でもあります。

 2年生で辞めてから、最後までやりきれなかった後ろめたさもあり なかなかメンバーのみんなとも会えておらず、また久しぶりに会えたらいいなぁと今、当時のことを思い出しながら文章を書いています。

 

 

 このNPO団体に入りながらも、明星大学では3年間「乾杯の種」という活動をさせてもらっていました。

 学生がコーディネーターとなり世代間交流の場を食を通して作ろうという試みでした。この活動をする中で最初に市民サポートセンターの土屋さん(私の中での日野の母)を大学のボランティアセンターの畑野さんに紹介していただき、ここから私は日野の方々とたくさん出会うことになりました。

 

 

 昨日は久しぶりに、日野の「子育て井戸端会議」にお邪魔して、これまでのこと これからのことを話したのですが改めて日野で出会った皆さんに支えられて今があることを感じた1日でした。

 これまでの活動を、一人で振り返り言語化をすることが苦手だった為

自分の中ではいろいろな考えのもとで今の事業案にたどり着いているのですが

その過程を周りの方にしっかり説明してこなかったために、「今何してるの~?」と心配させてしまっていました。

 

 これまで考えてきたサービスは 
子供の貧困問題・食育/子育てお母さんの支援→時間通貨→空き家活用→DIYサポート と、
一見するとバラバラに見えるのですが、自分の中では人とのつながりということがひとつの軸としてあって、
 今の事業案ではこれからの時代の新たなつながり方のきっかけとして、DIYをしていきたいと思っています。
 これまで私が作ろうとしてきた つながりは、現状の壊れかけている地域などのつながりを頑張って、紡ぎ直そうとしてきたものでしたが
 進めていく中で思ったのは、新しい時代を生きる私たち世代はどんなつながりの中に生きていきたいのかということでした。
 地域のつながりだけが全てではなく、SNSやネット技術が増していく中でのリアルなつながりのあり方、意味ってなんだろう。と


 今の私の中での問や、この価値観に至るのも考えてきた1つ1つの事業案の中で、これまで出会った皆さんと直接お話をする機会をいただけたからあるものです。

 色々なことへの興味関心がありバタバタとする中で、しっかりとお礼や現状を伝えることができていない方が多くいて申し訳ないです。

 

 残りわずかで卒業ですが、しっかりと自分のやりたいことを見つめ、世の中に対してサービスという形で価値を生み出し

 自分についた力を、今度は下の世代や世の中のために使っていきたいと思います。皆さんからの応援や温かい声かけが時々立ち止まってしまう私の背中をいつも押しています。

 

 今回の記事も2017年を駆け抜けるための大きな後押しとなりました。あとは、失敗しながら成功するまで諦めないでやり切るということだと思っています!!自分がやりたいと思うこと、を思いっきりやれる環境に感謝しながら、苦しいことすら楽しみながら頑張っていきたいです。

 

余談ですが、取材を受けながら、プロの記者の「聞く力」はすごいなぁ。と間近で感じることができました。全く初めて会った人に私の人生のほぼすべてを話しつくして笑 書いていただいた記事です。ぜひ皆様お読みください。
朝日新聞WEB版は記事の掲載に期限があったようで、現在は公開はされておりません。読もうとしてくださった方申し訳ないです。2017.1/20

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