言葉にすること
今日は神奈川・東京は久しぶりの雪だった
でもあんまりその雪に感動はなく、あぁ降ってるね。と自然と受け止めてた。もっと天気とか自然と寄り添って過ごしたい〜
前の記事の流れで教育実習中に、尊敬する担任の先生から教わったことを書き出しておきます。
大人も子供も変わらないことは
言葉にしてちゃんと伝えてあげる、言葉を通して理解することが大切ということ。
人に対しても自分に対しても
わからない・知らない状況って
→不安なこと
いじめの原因もその子が、少し変わっている(軽度の発達障害などがある)ことや個性がつよい事で
周りにいる子どもたちは異質なことが不安となり
自分を不安から守るためにその子に対して攻撃を始める。
だから、周りの大人や先生は子どもたちが理解できるような言葉にしてその子の少し変わっていることなんかも伝えてあげる。
そうすると、子どもたちは安心してその子を受け入れることができて
こういうところが少し違うけど、でもこんな
いいところや得意なことがあるんだよね、
困った時はお互いに助け合ったらいいね。というようになる。
でもこれも、10歳前頃までに言葉として受け入れることができていないと
11,12歳になる頃には自他意識や客観的思考がついていく過程で、
友達の間での雰囲気などに思考が流されやすくなって、大人の言葉がけが
ストンと子どもには入りにくくなってしまう。
あと先生や大人の少し変わった目でその子を見たり、いつも注意する時のネガティブな発言が子どもたちにも伝わっていて、
大人自身も無意識の中でのその子を
自分の不安や価値観との違いで受け入れられていないことが態度として出ていないか、気をつけなくてはいけないよね。
学校での国語の授業って、言葉を通した人や物事への理解の方法の基盤になっていて
大人だって
言語化できていない思いが溜まっていくと鬱になったり体調を崩したりするくらいだから(プチ鬱と頭の湿疹と胃酸経験者←)
本当はもっと大人になる前に
自分自身を言語化して知っていく方法だったり、他者に自分を知ってもらう方法・他者を知る方法(コミュニケーション・自分に合っている表現、アウトプットの方法)
そして、その先の行動のあり方を身につけておかなくてはいけないんだと思いました。
これは学校教育だけじゃなくて、むしろ家庭や周りの大人から学んでいくことなのかもしれない。
あとは、学校みたいに日常の生活コミュニティーと学びのコミュニティーが並立している場合
本当にその人(友達)を受け入れるのって難しいのよね。
大人は職場以外にもこれまでの友達や趣味の仲間、インターネットの世界があるけれど
子どもは自分では選べないクラスという限られたコミュニティーの中で生活してるんだから
『みんな仲良くね。』なんて綺麗事簡単に言わないでほしい といつも思っていた。
どうしたら仲良くできるのか、違いを受け入れたりコミュニケーションの仕方を具体的に教えたり
子どもが過ごすコミュニティー・環境から丁寧に大人は考えていかなくちゃ
そしてこの"言葉にして理解する"って、世界の平和にもつながっていくことになると思う。(すごく大きな考えになってしまったけど)
2020年からの英語教育とか、スキル的なことを検討するときに目的だったり
その先の社会をちゃんと目指して考えていきたいな。
自分を知って受け入れて
他者を知って共感して、尊敬する こと。